これが僕のデッドマンズスイッチ

これ、日記なので生きてるうちは更新しますよ。早速本題。

ブログとしてこれをアップするのは本当の「デッドマンズスイッチ」って高いから。20ドルだそうです。

買えない金額ではないのですが、今の僕にはちょっと手が出しづらいです。

ここは親しい友人が知っているサイトなので、「その時」に発見してもらえたらな〜と思いながら書いていきます。

このサイトは特に収益を狙っていないのでSEOは無視。広告が入っているのは昔の名残。せっかくなのでそのまま。ただ検索上位を狙わないにしろ、あわよくばって下心はあります。

あ、けどパーマリンクだけは変更しておこう。日本語ドメインはやっぱりカッコ悪い。「始末するつもりでいる康一くんの靴下が気になる吉良吉影」みたいなものです。

内容はフェイクを入れて書くため、色々と不鮮明な箇所も出てきます。でも僕を知っている人なら「あの事かな?」と分かるかもしれません。

そんなただの日記です。

それにしても僕のサイト運営って2020年からのチャレンジだったんだなー。ここは書評として始めたんだっけ。あの頃も本当に必死だったなぁ。

さて、遺書みたいな始まり方をしましたが、自死はしませんよ。子供の人生に影を落とさないためです。僕がそれを選んだら子どもの選択肢に「自死」が含まれるようになります。僕がそうだからです。だからそうならないように責任を果たすまでは僕は生きるつもりです。

書く目的は、僕が「何を考えていたのか」「何をしていたのか」を通知するため。

僕は今、体調を崩していて頭痛や目眩が本格化しています。いつか僕が倒れてしまい、死亡または重度の障害など起きた際に、僕が何を感じていたのかを知る人間がいなくなる。

そしてその時にはきっと、僕は諸悪の根源であり元凶にされるのだと思っています。周囲もそれを信じるのでしょう。娘もきっとそのように教育されるのだと思います。

僕の両親は離婚しました。兄は父方、僕は母方に付きました。幼少期の僕は父への憎悪を教育されました。逝去の連絡を受けた際には葬儀には行かず一人で寿司を取って祝ったほどです。ですが、実は悪人ではありませんでした。

これと同じ事を娘にされたくないのです。

私が「何をやってきたか」が知られないまま、子どもの憎悪の対象にされるかもしれない。僕はそれが無念でならない。娘には僕と同じ人生を歩ませたくない。

だから書き残しています。

とはいえ「理解ある彼くん」になり損ねた弱男の独白なので僕を知らない人には面白いものではありませんね。

僕にとってここは「もしその時が来たなら友人に発見されれば良い」のです。その記録です。

重たいもの負わせて申し訳ない。別に心に留めておいてくれるだけでいいよ。特に糾弾も求めていない。これを読んだ時には僕は倒れた後だろうと思う。多分だけど君は「そういやあいつブログやってたな。思い出のつもりでちょっと見てみるか」って思って読みに来てくれたんだと思うよ。

巻き込んでごめんね。孤独が辛くてね。

あー、でも娘には「君の親は頑張っていたよ」って伝えてくれたら嬉しいかも。それか僕の兄にその旨を伝えてくれるのでもありがたいね。

まぁもし「その日」とやらが来たらなんだけど。

もしかしたら色々といい感じになって、変なものアップしてたなーとか思える日が来たら、それはそれでいいね。

「書くことが良い」なんて話もあるので、これが僕のガス抜きになればなという期待もあります。

いつかこれが「お前あの時ヤバイヤバイ言いながら乗り越えてたよなー」なんて笑い話にできれば嬉しいな。

その時にはここを消しますよ。

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